スーザン・フォワードによる「毒になる親」「毒親の棄て方」を読んでいろいろと考えたことを紹介したい。
彼女は「毒になる親」という著作で「毒親」について分析している。原題も「TOXIC PARENTS」と言い、刺激的だが言い得て妙な表現をしている。もっとも「毒親の棄て方」という著作の原題は「MOTHER WHO CAN‘T LOVE」なので日本語のタイトルがかなり強烈なのだろう。しかし言わんとするニュアンスは十分に伝わってくる。私が多くお会いする方々の子供時代のお話をお聞きしていると、正直「毒親」という表現でも足りないくらいなのだが・・・。
その毒を幼いころから体内に取り込み続け蓄積された毒の後遺症に苦しんでいる子供たちが大人になり「アダルトチルドレン」という呼び方で総称される生きづらさを抱えて苦しんでいるのだ。
この機会を通じてまずスーザンの著書「毒になる親」から学んだいくつかの知見をまとめてみたい。少しでもあなたの生きづらさが整理できればそれに越したことはない。
*なおここでは,講談社+α文庫版「毒になる親」玉置 悟訳(2010)をテキストとしています。
<内容>
『私たちはだれでも、子どもの時に親から心に「感情の種」を植えられる。そしてその「種」は本人が成長するとともに芽を出して成長していく。それは、ある親子にとっては「愛情」「他人を尊重する心」「独立心」などに成長する「種」であうが、そうでない多くの家庭においては「恐れる心」「不安感」「過剰で不必要な義務感」「罪悪感」「いくらやっても不十分な気分」などに成長する種である』
スーザン・フォワードによる「毒になる親」の冒頭部分の一節だ。
確かに私たち人間は完全ではない。神様でない限り誰でも失敗するし欠点もある。それは子どもが生まれ親という立場になっても同じだ。しかしそれは私たち自身が不完全な人間として生きていく上での課題でもあり、自分自身の問題として取り組むべき問題なのだ。
ところがそういう不完全さを自分の問題として取り組まずに、誰かのせいにしたり自分より立場の弱い者にしりぬぐいをさせたりすることが当たり前になると、迷惑なのは当然身近な人たち、特に家族、もっと言えば一番立場の弱い子供なのだ。
自らの問題を引き受けずに子供たちの背中に負わせることがまかり通ると、その子供たちの心の中には「毒の種」が植え付けられてしまう。
その毒の種は子どもたちのこころに根を張り、覆い尽くし、彼らが大人になってもまだ影響を及ぼし続ける。
あなたの心に親からの「毒の種」は植え付けられていないだろうか。
スーザン・フォワードによると、親との関係が上手く行っていない、あるいはその影響で自分に対して自信が持てない、生きていくことの価値がなかなか見いだせず生きづらい思いを重ねているのなら、次のような「自分を見つめるチェックリスト」で確認してみることを勧めている。
<自分の親が「毒になる親」かどうかを確かめるチェックリスト>
(1)あなたが子供だった時
これらの項目はスーザン・フォワードによる子供時代の親と自分との関係をみつめる項目だ。
もしあなたがスーザンの指摘に心あたりがあるのなら、一度チェックしてみてほしい。
次に現在大人になったあなた自身について確認してほしい、とスーザンは言う。
(2)大人としての現在のあなたは
さらに現在のあなたと親との関係についても確認することをスーザンは指摘する。
(3)現在のあなたと親との関係
さて今までの3つのチェックリストの結果はどうだろうか。スーザンによると、これらの質問に対する答えの少なくとも3分の1が「イエス」であれば、あなたとあなたの親との関係について振り返る必要があるという。
ここでスーザンは私達のパーソナリティを形作る3つの要素をあげている。それは「考え方」と「感情」と「行動」だ。
「考え方」とは人が普通は特別に意識されることは少ないが、生きていく上での「基本となる物の考え方(信条)」だ。
それは物事の善悪の価値判断や、対人関係の持ち方、道徳観や倫理観までも含めてその人を支えている。
そしてその考え方は多くの場合、親の影響を受けている。「刷り込まれている」「プログラミングされている」と言ってもいいかもしれない。もちろんそれが子供の成長を促すバックボーンとなる場合もある。そうであるべきなのだが、しかし考え方が自己中心的で何事にも自分を優先する親からは、子どもに植え付けられるものは、そういう歪んだ価値観とともに自分はその犠牲となるに値する人間だという思い込みだ。
「感情」はそのような歪んだ親子関係に反応して身体の奥から湧き起ってくる。「寂しさ」「怒り」「哀しみ」「無力感」などだ。しかしその感情について意識できる人もいれば、抑え込んで意識できない人もいる。自分の感情をこころの奥深くに埋めてしまうことに慣れてしまうと自分が何をどう感じているのかがわからなくなる。また親への怒りを意識することによって、親に対しての罪悪感が湧いてくることも当然ある。
そして最後に人はその「考え方」と「感情」に沿った「行動」をする。その行動が親に対する自己犠牲や服従であろうとも、逆に怒りに任せた反抗であったとしても、その背景に「考え方」や「感情」が影響を与えているとスーザンは指摘する。
そう考えると。一体自分が何をどう考え、それに対して本当はどういう感情を抱いていて、その結果どういう行動パターンに陥っているのか知っておくことが必要だ、とスーザンは繰り返し指摘する。
そこで次にあなたの「考え方」「感情」「行動」についてのチェックリストを通じて、自分自身をふり返ってみよう。
ここでは親との関係における「考え方」をふり返るために、チェックリストが用意されている。
一度、ご自分の生き方の背景にあるかもしれない「基本的な物の考え方」にどの程度親の影響があるかをふり返ってほしい。
ただ長文に渡るため、別ページにまとめてあるので、そちらからお願いします。
ここでは親との関係における「感情」をふり返るために、チェックリストが用意されている。
一度、親と自分との関係の中でどういう感情が中心を占めているのか、ふり返ってほしい。
ただ長文に渡るため、別ページにまとめてあるので、そちらからお願いします。
ここでは親との関係における「行動パターン」をふり返るために、チェックリストが用意されている。
これまでチェックしてきた「考え方」「感情」の影響のもとに自分はどういう行動をとりがちなのか、親と自分との関係がどういうパターンで出来上がっているのか、一度ふり返ってほしい。
ただ長文に渡るため、別ページにまとめてあるので、そちらからお願いします。
さて「考え方」「感情」「行動」のチェックリストはいかがだっただろうか。もちろんこのチェックリストはスーザンが考えたものであり、チェック項目は皆さんが新たに作り上げて追加していってもかまわない。大切な事は、自分自身の今の対人関係の有り方や行動のパターンの背景にもしかしたら親との関係からくる「感情」や「考え方」が強く影響を及ぼしているかもしれない、ということに気が付くことだ。それがまず最初のステップだ。
多くの場合そういう結びつきに気が付くと、怒りが湧いてくることが多い。今の自分の状態は自分自身が作り出したものではなく、子どもの頃に親の影響から導かれたものであるのなら、それは親の責任である。あなたの責任ではない。被害者としての怒りが湧いてきても当然のことだ。
その「怒り」には様々な意味がある。その一つに「自分を守る」ための怒りだ。相手を非難するための怒りが実は「自分」というものを固めていく怒りでもあるのだ。人は「怒る時」、必ずそこに「自分」というものがある。怒りをぶつける「自分」とぶつける対象の「相手」が明確になるのが怒りと言う感情なのだ。だから「怒る」時、そこに「自分」がある。
しかし怒りにはもう一つ副作用があって、それは「罪悪感」だ。特に親に怒りを持つとき「罪悪感」は自動的に発動しがちである。その結果、せっかく「自分」を固める機会であったのに、罪悪感が怒りを抑えこんで、生まれ始めた「自分」を見失わせてしまう。この「怒りと罪悪感」の葛藤に負けてはならない。
もう一つ忘れてはならないことがある。それはたとえ怒りを親にぶつけたとしても「親は変わらない」ということだ。人は自ら変わろうと覚悟を決めない限り、変わることはない。人から怒りや非難を浴びせられて、自己反省できる親ならばもうすでに変わっているはずだ。残念ながら、あなたを苦しめた親は自己反省がおぼつかない人なのだ。
だとするとむやみに怒りを直接ぶつけることはやめておこう。ぶつけたところで相手は変わらない、むしろそれをきっかけに、ますますあなたを力でコントロールしようとするだけだ。怒りはあくまでも「自分を取り戻す」ために使おう。相手を非難し攻撃することは、相手との関係を泥仕合に仕立て、逆の意味でコントロールされることになる。
スーザンも言う。
「怒りは自分がどんな人間であるかを自分に対してはっきりさせるために使うことができる。怒りは自分について学び、親(あるいはどんな人でも)との関係においてどんなことは受け入れられ、どんなことは受け入れられないかを知るためにたくさんのことを教えてくれる。つまり自分の許容できることの範囲を決めるのを助けてくれるのである。
親がいいと言ってくれないことを恐れる気持ちに陥ることから自分を解放する力を与えてくれる。怒りは、親の考えを変えさせようとする達成不可能な闘いに自分のエネルギーを浪費することから転換し、再び自分のものとして使えるようにするのを助けてくれる。」(p.243)
怒りを十分に感じたならば、その次に湧き起ってくる感情は「悲しみ」であることが多い。
「悲しみ」と「怒り」は同じ硬貨の表と裏のような関係だ。
ではいったい何に対する「悲しみ」なのか。
それはやはり子供時代に得られるべき「愛情」「安心感」そして「自分に対する自信」が満たされなかったことに対する喪失感ともいうべき「悲しみ」だろう。
子供は親からの無条件の愛情を受けることによって自分自身が「愛されるべき存在」「愛情を受ける価値のある存在」であるという「健全な自己愛」を身体感覚として身につける。それがあることによって不安を乗り越えて行けるのだ。
同時に「愛を注いでくれる環境」の代表としての親との関係が信じられるからこそ、「世の中」というものや「他人というもの」を恐れずに信じて飛び込んでいけるのだ。それを世の中に対する「基本的信頼感」と呼ぶ。
この健全な自己愛と世の中に対する基本的信頼感の二つがセットになることで、人は前向きに恐れずに他人との関係を築きあげることができる。
その「健全な自己愛」と「基本的信頼感」を十分に与えてもらえなかった、あるいは奪われた体験からくる「喪失感」が深い悲しみとなっての深いところに沈殿していることが「アダルトチルドレン」と呼ばれる人たちには多くみられる。
この深い悲しみにどう対処すればよいのか。そういう対処のプロセスを「喪の仕事」「グリーフ・ワーク」と呼ぶ。大切なものを失った、あるいは得られなかった心の空白が癒されるプロセスのことだ。
このプロセスについてはいろいろが人がそのモデルを提唱しているが、私はその中できわめて本質的な部分だけを取り上げたモデルを大切にしている。
それは
1)抗議 ⇒ 2)絶望 ⇒ 3)受け入れ ⇒ 4)立ち直り という4段階のプロセスだ。
1)の「抗議」は文字通り「なぜ自分はこんな目に合わなければいけないんだ」「どうしてあなたは私にそんなことをしたのだ」という「怒り」そのものだ。そしてその重要性は前段で説明した。
その怒りを十分に出し尽くした後やってくる段階は「絶望」の段階だ。怒りを持って相手に抗議をしても、何も変わらない。そのむなしさやどうにもならない行き詰り感や持って行き場のない憤りに襲われてしまい、一度「絶望」の段階に入り「悲しみ」や「抑うつ」に襲われる。それはごく自然なことで、誰でも同じ状況になれば当然経なければならないプロセスなのだ。
だがこれが辛い。怒りをもって抗議しても、結局過去に戻れるわけでもなく相手が自己反省してくれるわけでもない、そういう段階は「絶望感」をわき起こす。しかしその「絶望」の段階を経ることによって「いつまでも過去に縛られていてもどうしようもない」という3)「受け入れ」の段階へと進んでいく。
「受け入れ」というと「あきらめ」ではないかと誤解されそうだが、確かに「あきらめ」の要素もないわけではない。「怒り」や「悲しみ」が、過去の自分に対する嘆きのプロセスだとしたら、「受け入れ」は過去から現在へと心のエネルギーが反転していく「底打ち」の段階だともいえるだろう。「怒り」と「悲しみ」に沈んで「底打ち」段階を経て、次にそのエネルギーが「未来」や「将来」への関心へと前向きな方向へ流れ込む「立ち直り」の段階に至る。ここへ来てついに「過去の家族関係」「過去の自分と親の関係」に縛られ続けるのではなく、「これから自分はどう生きていくのか」という段階へと移っていくことになる。
このプロセスについてスーザンは次のような言葉を自分で自分に語りかけよう、と言う。
「私は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、いまここに捨てる。もし親がああではなかったら、もしこうだったら、などという希望や願いを、いまここに捨てる。私は、子供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、いまここに捨てる。
私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは永久にないであろうということを、いまここにはっきりと自覚する。私はそのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。
だが私は、この現実をそのまま受け入れる。そして私は、すべての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる」(p.247)
そして彼女はこうも言う。
「多くの人は、深く悲しむことと自己憐憫とを混同し、自分哀れんでいるように見られたくないために嘆き悲しむことを避けようとする。だが、怒りと同様、内面に、抱える大きな悲しみは、静かに感じ取ってから表現することによって外に出してやらなければ、いつまでも自己破壊的な行動の原因となり続ける。」(p.248)
最近、マスメディアで痛ましい事件を目にすることが多い。特に身体的な虐待の犠牲になって命を落とす子供たちのニュースだ。しかしニュースになる事件は氷山の一角であって、その背後に多くの子供たちの身体的だけでない、精神的な犠牲がある。もちろんそのような状況から何とか生き延びて大人になっている人たちもたくさんいるが、幼いころに受けた心の傷は今も疼いて彼らの生き方に影響を及ぼしている。「アダルトチルドレン」と呼ばれる状態だ。
私のオフィスに来室される相談者の中にも事情は違っても同じような親との関係に今も苦しんでいる方々はたくさん来室されている。ただ彼らのようにどこかにつながって話を聞いてもらう人達ばかりではなく、まだ多くの人達が人知れず苦しまれているのだと思うと、このスーザンの著書を目にして彼らが自分自身を振り返り、過去の亡霊に苦しんでいる状況から少しでも早く抜け出して自分を取り戻してもらえることを願っている。
もちろんそのためには、ここまでまとめてきたような長く辛いプロセスを経なければならない。それを一人で取り組みには負担が多すぎる時には、ぜひ信頼できる相談相手を探して支えてもらいながら取り組むことをお勧めする。
それに値する取り組みであり、それに値する人生の転機であると思うからだ。
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