怒りと言う感情は大切なものです。理不尽な思いを我慢して怒りを抑え込んだ結果、さまざまな影響が身体や行動やその後の生き方に影響を与える場合もあります。そういう方にとって「怒り」を認め、受け入れ、正当な形で昇華していくことは大切なステップでしょう。
また「どうせ自分はダメなんだ」という無力感が自暴自棄な怒りの行動となって表に出てくる場合もあります。そしてその背後には親などの大切な他者からの愛情の不足や、発達等の特性からトラブルが続き、周囲から怒られたり拒否され続けた結果の二次障害があることもあるのです。
そしてさらに進むと、罪悪感や後悔もなく、冷淡に他人を傷つけて平気な人になることもあるのです。そういう秩序破壊的な行動の悪化を「DBD(破壊的行動障害(Disruptive Behavior Disorders)マーチ」と呼ぶ場合もあります。
次の図は私がよく研修会などで「怒りの行動化」を見せる子供たちの背景にある無力感について表した図です。
1)まず怒る子どもたちの気持ちの背景には「無力感」と「自信のなさ」があるような気がします。つまり「どうせ自分は
ダメなんだ」というあきらめにも見た自信のなさとでも言うのでしょうか。しかしそういう気持ちは表面的には「強が
り」や、周囲が手を差し伸べても「ほっておいてくれ」という「やせ我慢」の虚勢のポーズを見せます。
2)そこで周囲があきらめずに声をかけ続ければよいのですが、なかなか付き合いきれずに距離を開けてしまうと「(手を
差し伸べたのは)やっぱりあれは本気じゃなかったんだ。どうせ誰も本気で俺のことなんか心配してはいないんだ」と孤
立無援感・疎外感からくる恨みをつのらせてしまいます。
3)その孤立無援感・疎外感の辛さをごまかしてかりそめの万能感を回復するために「馬鹿にするなよ。目にものをみせた
やる!」という一発逆転の行動化をしてしまうのです。「なげやりの自暴自棄」とでも言うのでしょうか。
4)そしてそれに対して罰や叱責が続くと、再び「何をやっても結局自分は怒られるんだ。どうせ俺はそういう人間なん
だ」と再び1)へと戻ってしまう悪循環が出来上がってしまうのです。
この無力感と怒りの悪循環をどこかで断ち切るには、周囲のあきらめない愛情が必要です。ただしそれは「人の愛情を信じられなくなっている」彼にとって、そう簡単に受け入れられるものではありません。周囲が差し伸べた手を払いのけられたときに、逆に腹を立てたり逆恨みをしたり、あきらめて突き放すことになると、再び彼らの悪循環を強化することにつながります。
このサイクルをよく理解した上で、「何とかしようと焦らない」「何が起きても慌てない」「なんともならなくてもあきらめない」の焦らず・慌てず・あきらめずの「3つのあ」を心に深く刻んで、彼らとつきあうことが大切なのだろうと思っています。もちろんそれはそう簡単な事ではありませんが、必要な事なのです。
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