社会的(語用論的)コミュニケーション障害


社会的(語用論的)コミュニケーション障害とは、社会的な状況に応じてコミュニケーションの様式を調節することの困難です。言葉の意味は理解できているのですが、その言葉を相手や場面に応じて使い分けができません。たとえば、普通は小さな子供に話しかける時、相手の年齢に応じた話し方をしますよね。でもそういう場に応じた使い分けが難しいのです。また会話の文脈を読んで理解したり、皮肉やいやみ、あるいはジョークなどをその字義通りに取ってしまうなど言うことも見られます。

 

よく説明で使われるエピソードとしていつでも堅ぐるしい言葉遣いしか使えない人や、逆にどんな相手でもため口で話しかけてしまうような人がいます。やはり場に応じて言葉遣いも変えるのが一般的ですよね。そういう使い分けや対人関係でもいわゆる「顔で笑って、心で泣いて」というような情緒面での機微を察することができないことが多いです(ただし説明されれば理解できる方もいます)。

 

さらに「語用論的」と言うのは文脈に応じて使われた言葉の意味を理解するということで、たとえば「すいません、今何時かわかりますか?」といわれればそれは「今何時か教えてください」という意味なのですが、その言葉の使われている意味を文字通りにしか解釈できなければ「わかりますよ」と答えるだけになってしまいます。ここらあたりの社会的な文脈の中での言葉の使われ方がわからなければコミュニケーションがうまくいきません。特に日本人のように「以心伝心」を美徳とする文化の場合、コミュニケーション障害の方は生きにくいでしょうね。

こういうコミュニケーションの弱さは実はコミュニケーション障害特有と言うよりも自閉スペクトラム症の方に見られる特徴でもあります。

 

と言うよりもむしろ逆に言って、自閉スペクトラム症の診断基準のうち、「こだわり」がない場合を取り出してコミュニケーション障害とカテゴライズしたわけです。