挫折をどう意味づけるか、それは自分の人生の物語の中にその挫折をどう位置づけるか、と言うことだと前回感じました。そこで、今回は「物語としての人生」について考えてみたいと思います。
“希望がないと当初思っていた人が、あせらず時間をかけて自分の頭で考えるうち、希望を見つけるその過程で、期せずして共通に用いる言葉がありました。それは「物語」もしくは「ストーリー」と言う言葉でした。人は自分の希望を真剣に語ろうとする時、なぜか物語(ストーリー)と言う言葉に向かい合わずにはいられないのです”
「希望のつくり方」の著者の玄田先生はこういわれます。
確かにこれまで見てきたように、過去に重ねた挫折を自分なりの意味づけで解釈しなおし、未来の希望へとつなげようとする時、過去から未来への物語(ストーリー)を作らずにはいられません。そういう意味で人生と言うのは一人ひとりの価値観や信念に裏付けられ、意味づけされた物語だと言うこともできるでしょう。
では希望に結びつく物語の特徴はどういうものなのでしょうか。
玄田先生によれば3つあるようです。
1)希望の修正
“希望の多くは簡単には実現しません。大事なのは、失望した後に、
つらかった経験を踏まえて、次の新しい希望へと、柔軟に修正させていくことです。”
2)挫折経験の意味づけ
“過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる”
挫折に対して向き合い乗り越える物語を作れるかどうかでしょうね。
3)無駄の効用
希望をかなえるために、無駄なく戦略や計画を立てて、一直線に最短距離で目標に向かって努力する、という物語では、挫折を受け入れることはできません。
“希望は実現することも大切だけれど、それ以上に探し、出会うことにこそ、意味があります”
“時間をかけて寄り道をする中でこそ、出会いは生まれます。
無駄に対して否定的になりすぎると、希望との思いがけない出会いもなくなっていくのです”
さて、この3つを満たす物語と言えば、例えば冒険ファンタジーとか、宝物を探して旅する物語などが思い浮かびます。ある宝物を探して、冒険の旅に出る。しかしその宝物がどこにあってどうやれば手に入るのか、わからない。そこでいろいろ旅の途中で出会う危機やハードルを潜り抜け、時には失望にくれながらも再び勇気を取り戻し、目指す宝物の元へ。やっと手に入った宝物と言うのは、実は目の前の仲間や日常の中にありながら気がつかなかったものだった、と言うようなものが冒険ファンタジーのプロットではないでしょうか。
そう考えれば、子どもたちがハリーポッターに夢中になったり、ワンピースにはまるのも当然でしょうし、ああいう物語をシュミレーションとして、自分の人生に希望を探し出す練習をしていると言えます。
子どもだけじゃない、大人もそうですね。
私はこれからどういう物語を書いていこうかな、ちょっと楽しみになってきました。
自分だけの人生と言うものは、自分の物語を作ることで、どんどん展開するのかもしれませんね。
そこに希望を見出しましょう。
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