「われわれが心の底を友達に見せることができないのは、ふつう、友達に対する警戒心よりも、むしろ自分自身に対する警戒心のためである」
この言葉はラ・ロシュフコーという方の「「箴言集」から引用しました。
ラ・ロシュフコーさんはこういう人(らしい、あったことないので(-_-メ))
17世紀に活躍したフランスのモラリスト文学者。
モラリストとは
「現実の人間を洞察し、人間の生き方を探求して、それを断章形式や箴言のような独特の非連続的な文章で綴り続けた人々のことである」(ウィキペディアより)
だ、とのことですが、確かに彼の著作「箴言集」を読んでいると、うなづけることが多い。
この言葉も、実はカウンセラーとしての私からすれば非常に感ずるところが多くて、「まったくそうだよな~」と思ってしまうのでした。
カウンセリング、とか心理療法とかいう作業は、医療と違い、お医者さんに薬のようなものを処方してもらって、ハイ、OK!というわけにはいきません。
他人に直してもおうと思っているうちはなかなか効果はなく、
自分に向き合うことをどうしても避けては通れない作業です。
カウンセラーなどと言う存在は、その点何とも無力であり、
結局はクライエントの自己成長力を信じるしかない存在なのです。
しかしクライエントの自己成長力を信頼することにかけては全力を尽くすのであり、クライエントが自分で自分の変容をもたらすために全力で精魂を傾けるのです。
「自分自身に向き合うことへの警戒心」をいかにほぐして、
孤独で困難な作業を支えていくことができるか。一人だけでは貫き通すことのできない作業を、横に並んで一緒に歩んでいく、これがカウンセリングのの本質ではないか、と思っています。
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