前回は北杜夫さんの躁病エピソードを、父娘対談の中で教えてもらいました。この本自体、とてもおおらかな書き方をされているので、思わず吹き出すようなエピソードとして印象に残ってしまいます。しかし実際はご家族の方も含め、それは大変な思いをされたことだろうと思います。
今回取り上げる方の体験はもうちょっとリアルな本でした。それは亡くなられた中島らもさんの著書「心が雨漏りする日には」
書きだしは“親父が躁うつ病だった。”から始まります。
中島さんがまだ中学生の時、登校しようと靴を履いていたら、突然後ろから「お前は絵が上手いから、絵描きになれ。心配はいらん。ワシは横山大観と知り合いやから」と言われます。もちろんそんなわけもなく、驚きながら学校へ行き、家に帰ってみるとお父さんの姿はなく、病院に入院されていたとのことでした。
お父さんの躁状態の時の行動力はすさまじく、「今からここにプールを作るといって一人でスコップで庭をザックザックと掘り出し、なんと1週間で一人で穴を掘ってセメントを流し込んで完成させてしまった、ということです。
らもさんのエピソードも負けず劣らず。40歳ぐらいまでうつ病で、アルコール依存にもなりそれだけでも大変だったのに、その後躁病を発症されたとか。
躁状態の時は万能感に支配され、仕事のアイディアも次から次へと湧いてきて、どんどん仕事がはかどっていく。それだけならいいのですが、エネルギーがどんどん湧いてきて、いてもたってもいられなくなり、「あせり」の感覚とともに行動せずにいられなくなったそうです。
具体的なエピソードは引用すると長くなるので、実際に本を読んでもらうのが一番良いと思いますが、そのような病的な過活動に振り回されて困惑しているらもさんの気持ちが伝わってくる本です。結果的にらもさんは、アルコールの量が増えたり、服薬の副作用で大変な目に合われる入院もたびたびなされます。
本人の意志だけではどうにもならない、振り回されている困惑が伝わってくる本でした。
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