「マレフィセント」を観てきましたよ <その2> 現代における「真実の愛」とは?

<私の箱庭のマレフィセント人形>
<私の箱庭のマレフィセント人形>

さて、もはや男性に「真実の愛」を求めるのはかなわぬ現代。

(と言いながら私も男性なので、ちょっと引っかかりますが・・(ーー;))

 

どこに「真実の愛」はあるのでしょうね?

 

「マレフィセント」や「アナと雪の女王」を見る限り、ディズニーは「家族関係」に「真実の愛」を求めているような気がします。

 

マレフィセントは簡単に言えば「母性愛の復権」アナの方は「姉妹同胞愛」がカギになっていますから。

 

でもよ~く考えて見えると、マレフィセントに「母性愛」を復活させたのは「子どもの純真な母親への愛」でした。雪の女王エルサが姉妹同胞愛に目覚めたのは、これも妹アナの(ちょっと単純すぎるぐらい)純粋な愛でした。

 

言い換えると「真実の愛」に出会わなければならないのは、もはや子どもではなく大人の方なのです。

 

虐待や愛着障害などで家族間の複雑な問題が多発する現代、親や保護者の目を覚まさせるのは、最後まで疑うことのない純粋な子どものまなざしだ、とも言えるかもしれません。

 

そういう意味では子どもこそ最後のヒーローなのかもしれませんね。

 

原発にしても、集団自衛権にしても、外国での悲惨な戦争にしても、もしそれにブレーキをかけることができるものがあるとすれば、それは「次世代に生きる子ども」を守りたいという気持ちに「大人がなれるかどうか」ではないでしょうか?

 

自身の恨みに「悪の魔女」となったマレフィセントが、次世代の子どもを守りたいと目覚めた結果「ゴッド・マザー」に変貌できたこの映画のように、世界中で頻発する恨みの応酬やや悲惨な戦いを子どものために自制できるかどうか、それは私たちの問題なのです。

 

「子どものまなざしに宿る真実の愛」に出会って目を覚ます必要があるのは、実は私たち「眠れる森の大人」なのでは?