さて、発達障害関連の内容で、「カサンドラ愛情剥奪症候群とは」「発達障害児を見る目について」と二つ考えをまとめてみました。その中で、私は「ほめること」は重要ではないか、ということに触れましたが、それはなぜでしょうか?
一般的にも教育の中で「ほめること」の大切さは言われています。しかし障害児教育・特別支援教育の中では、改めてその重要さを実感しています。
私は以前、肢体不自由児と関わる職場にいたことがあります。その中で、ある脳性麻痺の女の子がこうつぶやいたことがありました。
「どうせ、わたしなんて何もできない」
この言葉を聞いたとき、ショックでした。
確かに彼女は四肢麻痺で車椅子も自由に動かせず、不自由な生活は余儀なくされていましたが、それでも普段は明るく笑顔が絶えない女の子だったのです。しかしある時ボソッとそうつぶやいたのです。
ここまではっきりと言葉にはしないかもしれませんが、多くの障害児がそれぞれの置かれた状況の中で、失敗体験をつみ重ね、現実の厳しい壁にぶつかり自己評価を下げているのです。
これは発達障害児も同様でしょう。日々、彼らの特性がもたらす周囲の状況との軋轢やトラブル、そして繰り返される叱責と厳しい指導。
こういう状況においては、誰であっても「どうせ自分なんて」と自己卑下してしまいますよね。特に人間の基本的な自己概念を形作る幼少期・学童期に自己評価を下げてしまうと、成人になっても自分に自信をもって生活することは難しくなります。
これが、さらに問題を複雑にするのです。
パートナーをカサンドラ愛情剥奪症候群と言われるような状態へ追い込んでしまう背景には、彼ら・彼女らがパートナーの気持ちを理解できにくいという特性があるでしょう。
しかし同時に彼らの態度に抗議したり、感情的に理解してほしい、と迫るパートナーの切実な行動を「自分に対する非難である」と考えてしまう、彼らの性格的傾向にも一因があるのではないでしょうか。
そしてそういう、言わば「被害的な」性格傾向は、やはり小さい頃に自己評価を高められなかったという事情が影響しているように思われてなりません。
「どうせ俺・私なんか周囲から認められていない」というあきらめに似た気持ちが成人になっても周囲との距離を作ってしまっている。
10年後、20年後を見すえて、出来るだけ小さい頃から、「ほめられること」「認められた体験」をたくさん積み上げてあげることが大切だと、私は思っています。
如何でしょうか?
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