いじめから考えたこと⑤は「他人を犠牲にすること」
「邪悪さ」というものをつらつら考えていると、さまざまなメディアを騒がせた事件を思い出します。自殺者まで引き起こしたいくつかのいじめの事件、尼崎で起きた角田美代子容疑者の事件etc。
それらの事件に共通していて、しかも邪悪性の日常的で根源的な行為は「(意図的な)うそ」。
意図的であるからには、相手の心の動きを読んで誘導するために、意図的に良心の痛みを伴わず、しかも自分の利益のためにつかれる「うそ」。色々な邪悪な行為があるにしてもすべての行為に必ず関係してくるのが「うそ」なのです。
❝「いいですか、邪悪なものがある時には、きまってそこにはうそがある」私はこう説明した。「邪悪なものというのは、かならずうそと関係があります」❞
(「平気でうそをつく人たち」M・スコットベック)
いつも引用する「平気でうそをつく人たち」のタイトル通り、邪悪なものと「うそ」とは必ず関係しています。意図的なうそ。
みなさん、意図的に「うそ」をついて良心が痛む様子を見せない輩には、十分ご注意を!
でも国会中継やニュースなんて見ていると、そんな輩ばっかりですね。
邪悪さについて学びたければ、東電や政治家に学ぼう!
(*「いじめから考えたこと」これで終了)
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