イジメなどに見られる「邪悪性」の一つに「加害者は被害者の心情を十分予想できている」ということがあります。
もちろん一過性の暴力などでも相手にダメージを与えるために効果的という意味では、「殴られれば痛いだろう」ということはわかっているはずですが、そういう意味よりもっと計画性というか、「こういうことをされれば相手にかなりのダメージが与えられるはずだ」という基準で選んだ行為をしている、という気がします。
昔、私が関わっていた知的障害と自閉症を併せ持っていた人が、畑でひらひら飛ぶ蝶を楽しそうに笑顔で追いかけながら捕まえようとしていました。その光景は無邪気でほほえましかったのですが、なんと彼はつかまえた蝶の羽を全部むしってしまったのです。
見ていて「おぉ・・さすがにそれは・・・」と思いましたが、彼にとっては蝶の気持ち(もしそういうものがあれば)に気持ちを馳せるということはできなかったのでしょう。ある意味本当に小さな子どもが純粋な興味でしているような印象でした。
しかし私はもう一つこういうエピソードも覚えています。
それは私の高校1年ぐらいの時のことです。これは友達から聞いた話なので直接見たわけではないのですが、ある共通の友人が面白半分だったのでしょうが、猫の体に火をつけて猫が逃げ惑う姿を笑っていた、というのです。
友人は何か先天的な障害があるわけでもなく知的にも高かったのですがこの話を聞いた時、私の胸の中にはなんともやりきれない、どす黒い気持ちが広がった気がしたことを覚えています。
あきらかにその友人は猫の気持ちに感情移入する力はあったし、火をつけられればどれだけ苦しいかも予想した上で、その逃げ惑う姿を笑っているのです。
「(こういう目に合わせれば相手はきっとこんな気持ちになるだろう、という)相手の心情を十分に予想した上で」残虐な行為に走る、という点に邪悪な匂いを感じずにはいられません。
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