「私は5歳の時から人は信用できない、と思っていた」
これはある高校生がつぶやいた言葉です。
彼女の家庭は複雑で、十分な愛情に満ちた関係を体験できたとは言えませんでした。
だからと言って学校生活に適応できなくなっているわけでもなく、それなりに充実した日々を送っているようでしたが、目つきは乾いていて物事を覚めた目線で見つめていたのは確かでした。
「人が信用できない」といってはいますが、結局それは両親を心から信用出来なかったということなのでしょう。人間関係の原型的な親子関係がそれでは他の人に心を開いたり恋愛感情に心から身をゆだねるということも難しいでしょう。
しかし彼女は学校生活の中で担任の先生を含め、暖かい人間関係を再体験することが出来、今は無事大学生活を楽しんでいます。
人を信用するということは 生きるための土壌となる大切なことだと思います。
カウンセリングなどという行為も全て相手を信じることから始まります。
クライエントはカウンセラーを、カウンセラーはクライエントをこころのそこから信じること。
それなくしては、どうして悩み事を打ち明けたり、親身になって聞いたり出来るでしょうか。
ところが今テレビをつけると日々、こういう思いがむなしくなるような光景を目にします。
昨日まで主張が全くぶつかっていた党同士が、意図も簡単に野合する。
あのときのあの言葉は一体なんだったんだ!?
本当のところ全く信用できない相手でも選挙のためなら、いや自分が通る為なら節操もなく主張を変えても気にもしない。こんな大人、しかも社会的に重要なポジションにいる大人の様子を見ていると、「人は信用できない」とつぶやいた彼女の言葉が納得されてしまいそうで・・・・
みんな、口には出さないけれど、本当はわかっているんだろ?
「こいつらみんな、信用できない」って・・・・
でも、そんなことでいいんだろうか??
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